封印した感情に亀裂が入った日

02.私のかけらを探す旅

2016年の春、温かく開放感にあふれる季節のただ中で、私は完全に自分が立ち止まってしまったことを感じていました。

復職した会社を半年で辞め、日本で完全に無職になりました(外国で無職は経験済)。

他に仕事を探しても良かった。
バイトでもしてみるという手もあった。

しかし、どうにもやる気がしなかったのです。

やる気がしない、というだけで、やらない選択ができるというのは、本当にありがたい境遇だったし

あれほどまでに忌み嫌った「専業主婦」というものが、なんというか、とても私に向いている仕事でもあったのです。

そんなことを考えると、きっと私は「専業主婦」をやりたかったのに違いない。

そして自分の内側に深く深く潜っていくということも、この時期でなければ
できなかったことだろうと思うのです。

まぁ、2016年の4月、色々な偶然が必然となって、私を内観に向かわせることとなりました。

その辺をリアルタイムに綴ったブログはこちら
意識高い系社畜が会社を辞めた日からの記録

記事を移行して閉じようかとも思っているのですが、なかなか思い出深く閉じられません。

さて、そんなわけで仕事を辞め、しばらくはお片付けの日々でした。

掃除をして掃除をして
ひたすら断捨離をして

タイから帰国して一年
帰国時にも散々捨てて来たはずなのに、まだまだ捨てられるものが、たくさんありました。

それらを捨てては、美味しい珈琲を求め
掃き清めては本を読み
そんな日々を2週間ほど過ごしました。

ある朝、私の胸に、たゆたゆと溜まっている「なにか」が、あることに気がつきました。

珈琲を飲んでも、食事をしても、その「なにか」らしきものは、たゆたゆと、そこにありました。

何かするたびに、たゆたゆと揺れるそれは、
とても脆そうなのに、しっかりとそこに居すわり

たゆたゆと揺れながらも、
徐々に、その輪郭を表してきたのです。

どうやらそれは、
なんらかの「感情」であるらしいのです。

でも、それをどうして良いのかわかりません。

私はそれを、そっと抱えると、
ゆっくりと撫でました。

たゆたゆと揺れるその揺れと共に、
長い時間を過ごしました。

一緒に揺れながら、しばらくするとそれは
「悲しみ」であることが、わかったのです。

わかったからといって、対応方法がわかる訳ではありません。

私は相変わらず、どうしたもんだかわからないまま、たゆたゆと揺れるに任せ「悲しみ」と一緒に過ごしました。

ただただ、そこに、たゆたゆしている何かがあるなぁ。そう感じ続けるだけです。

(その時は、何もわからずにそうしていましたが、今にして思えば正攻法の感情の付き合い方であったと思います。)

何日かするとその悲しみは、なにか言いたそうになりました。

私は相変わらずたゆたゆと耳を傾けました。

そうすると、盛大な吐き気と共に
「ひどいよ!ひどいよ!」
という言葉が出てきました。

「ひどい!つらいよ!悲しいよ!
どうして置いてっちゃったの?」

私は、幼い頃の、ある出来事を思い出していました。
それは家族にとってもつらく悲しい思い出で、父も母も 私も、 その事に触れることはありませんでした。

ひょっとすると両親は、私がそんな3歳のこと覚えていないと思っているかもしれません。そして、実際私には、その3歳の記憶はないのです。

でも、その感情は、まるでいま起こっていることのように、私の体内を駆け巡りました。わんわんと声を上げて泣き、泣き疲れた頃には夕方になっていました。

あんな40年も昔の出来事が、いまだにこんなに悲しいなんて…

ほとばしるような、感情のエネルギーに触れたその時、私の固い鎧に最初の亀裂が入った瞬間でした。

コメント

  1. […] 封印した感情に亀裂が入った日からの続き […]

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