見えないなにかに助けてもらった日

02.私のかけらを探す旅

そのセッションは、とても鮮明で、でも、同時にぼんやりとしています。
それは、とても暑い夏の日。蝉しぐれの夕方でした。

ビリーフリセットのセッションは、潜在意識下の囚われや思い込みを見つけ「原因」を探します。
「原因」というとなにか悪いものがありそうな気がしますが、そういうものではありません。そこにあるのは、なんらかの「カン違い」や「スレ違い」です。そしてそのカン違いは、幼い頃の家族の中で作られていることがとても多いんです、というかほぼそうです。

不思議ですよね、40過ぎた中年の悩みの原因がまさかの3歳児にあるなんて(2歳後半から6歳くらいまでに作られてるそうですよ)。マジかい私。

さて、
「なんか、よくわかんないんすけど、居心地が悪いんです。」
歯切れ悪く語り始めますが、いやだって、心理セラピーもカウンセリングも初めてですもん。それどころか、誰かに心の内側のこんな話をしたのは初めてです。

そのうえ、やたらと頭が痛くなって、ボーっとしてくるし、耳鳴りは始まるし、具合悪いことこの上ない。話すにつれ、ジー…という耳鳴りと、窓の外の蝉の大合唱が、いつしか混ざり合って、その区別がつかなくなっていきました。

家族の人数分、椅子を並べます。
その椅子は、3歳の私の家族(像)を再現しています。
まず私は、3歳の自分の椅子に座りました。

「どんな感じ?」
あやさんが聞きますが、どこか遠いところから聞こえてくる声のようです。
いつしか、耳鳴りは止んでいます。

私はただ虚ろに、部屋の角を見つめています。
まさに、いるんだかいないんだか。ぼうっとしています。
ぼうっとしているのに、なんとも心もとない、落ち着かない感じもします。

しばしのやり取りの後、あやさんが
「お母さんに、 ここにいていい? 」
って聞いてみて、と言います。

私は頷き、言葉にしようとします。
が、出来ません。

ぱくぱく。
口は動くけど、言葉が出ない。

「聞けません…。」
口にした途端、大粒の涙が止めどなく湧いてきました。

3歳の私は、両親の都合で親戚の家に預けられていました。
看護師の仕事を再開した母と、単身赴任で遠方に行かなければならない父とで、そう決めたのでしょう。

私は
「いていい?」
の一言が、どうしても口に出すことが出来ませんでした。

がっくりです。なぜなら知っていたから。
だって私は、要らない子、居てはいけない子なのです。今までずっと隠して生きてきました。そんな恐ろしいこと、口が裂けても言えません。

これが、私の辛さの原因
「いてはいけない。」というビリーフでした。

「いてはいけない。」んだから、そりゃ生きてて苦しいわけですよ。人生楽しめないわけですよ。好きなことなんてないわけですよ。

「私は要らない子」「居てはいけない子」なのです。
仕事をしたい母の「邪魔をしている迷惑な存在」なのです。
私さえ居なければ、母は好きな仕事を思いっきり出来たのに!お母さんごめんなさい!って思ってるんですよね(健気)。

これが、私の現在の悩み
「よくわからないけど居心地が悪い。申し訳ない。」
の原因でした。

「私は要らない子なのに、居てしまって申し訳ない。」
「私は居てはいけない子なのに、役にも立たず、お金も稼げず、申し訳ない。」
そんな風に思って生きてきたわけです(セルフハグ)。

要らない子だとは、分かった。
居ていけないことにしているのもわかった。
これだけでも、相当楽にはなります。原因がわかるって大事です。

原因がわかったら、次に、それをリセットしていきます。
私は母親の椅子に座りました。

「どんな感じ?」
あやさんが聞きます。

「母は、あれ、私いることが嬉しい……んでしょうか?」
あれ?…母は、私のこと大好きだ。
そんな風に感じられました。意外なようで知っていたような気もします。

「あれ、私居ても良かったんだ。」

と感じた直後
「そんなんじゃダメだ!!」
上から叩きつけるような声が聴こえました。

その瞬間、フラッシュバックのように
夕陽の差す台所で、母親(私からすると祖母)と姉(叔母)がふたりで、楽しそうに夕食の準備をしている。 そんな光景が見えたのです。

見えている光景は、とても平和な親子の絵なのですが、私の心はなぜか寒々としています。母は弟の手を握り、ふたりの後姿を見つめ、立ち尽くしている。

あぁ、そうなのです。その楽しい光景の中に、母は入れてもらえていないのです。
ふたりだけは楽しそうだけど、その世界に自分は入れてもらえない。声は届かず、振り向いてももらえない。心は寂しさと心細さでいっぱいです。

「お母さんは、私を見てくれない。私は構ってもらえない。」
これは、母が感じていた気持ちだ…

「認めてもらわなければ…
なんとかして、自分の力で生き残るんだ…
誰にも頼らずに生き抜くんだ…。」
切ないほどの熱意と決意が伝わってきます。

母も「母のビリーフの世界」を生きている。
3才になったばかりの子どもを親戚に預けてまで、仕事をしたかった母。
その母自身もまた幼い頃、母親と交流がなく寂しい思いをしていた。そして、自分自身の力で生き残っていくしかないという切ない思い込みの中で生きていました。

母親の、幼い日の心の傷が見えた瞬間、すべてが砕けました。

母には、そうせざるを得ない理由があったのです。私が邪魔だから、私といたくないから、私と向き合わないために仕事をしていた訳では無いのです。

「母には、理由があった。」
これは、強烈な一撃となって、私を「居てはいけない存在」から解放してくれたのです。

これが、私のビリーフリセットのセッションとの出会いであり、見たことのない光景の鮮明な映像が浮かんだ、初めての経験でした。

いまもまだ、あの映像が真実かウソか、自分の脳内が作り出した虚構なのかわかりません。ただ、あの映像によって、私は救われました。

私はもう「要らない子、必要ない存在」ではないし
「いてはいけない、存在してはいけない存在」ではなくなったのです。

どうして、あんなのが見られたのだろう?
私の力ではないし、師匠の力というのもなんだか違う気がする。
なにかが私に、あの光景を見せてくれたのだとしたら…
それは、いったいどんな存在なのだろう。

なんだかわからないけど、誰か(なにか?)助けてくれているらしいねぇ。
おばあちゃんかもしれないねぇ。

見えない世界が「なんだかあるらしいよ」と教えてくれた、初めてのセッションの話でした。

※これは、私個人の経験なので、セッションで同じ経験をされるという保証はできないんですよねぇ。でも、不思議な経験だったと言われる方は多いんですよ。

続き
言葉すらもない世界へ

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