本心の探し方、伝え方

03.自己定義とビリーフ

いつもなら見過ごしていたはずの
自分の本心に気がついてしまった。

本心って、脳内でギャーギャー叫ばない。
もし絶叫していたらそれは本心じゃないよ、別の声。
本心は、ささやかにひっそりとそこにある。
気がついてくれるのを、じっと黙って待っている。

脳内が騒がしい人や、あれもこれもやらなきゃやらなきゃで忙しくしている人には、なかなか気が付きにくい。

だから、自分の本心がよくわからない、本当の自分がどうなのかわからない、という方は、まず静かに自分の心に耳を澄ますということが必要なの。

それは、本当にささやかで
普段通りの私であれば、とっととフタをして見ないことにしていただろう。だって、めんどくさいから。

やるのは決定事項なんだから、ゴタゴタとわがままを並べていても仕方がない。

だから、今までの私ならば、無かったことにして箱に投げ入れ、フタをして知らんぷりしてた。
でも今回は、その違和感に気がついてしまったのだ。

しかし、めんどくさい。
私はこころオタクではあるけれども、毎度毎度自分を掘っていくのも、面倒になる瞬間だってあるんだよ。

そんなわけで数日放置しておいたけど、放置しておくには気持ち悪い感じになってきたので、見ていくことにした。

なんだかモヤモヤする、その感触を感じてゆくと

「ホントはイヤだ、行きたくない。」
という言葉が出て来た。

そうか、行きたくないか。

だって、
私の気持ちなんて、確かめてくれないじゃないか!
あなたも行きますか?って聞いてくれた?
そんな、めんどうなことやりたくない!!
なんで、勝手に決めちゃうんだよ!!

なんで、勝手に行くことにされて、勝手に計画立ててくれることになってるの?私が誘ったわけでもないのに?

そうか、誰も気持ちを聞いてくれない。
そんな感じなんだねー。
自分ばっかり!って感じかなー?

「何も言わなくても分かってるでしょ?」
「分かってるならやってよね!」
って言われてる感じ。
言われなきゃわかんないよ!

そうだよねー。

そんな風に自問自答していく。
と、あるところでふと気がつくのだ。

私の本心は「イヤだ」ではない、ということに。

その感情の層は、薄皮が何枚も重なった、玉ねぎに例えられることがある。

最初に「イヤだ」の皮が現れて、ひとつづつその気持ちを確認していく、その作業は、玉ねぎの皮むきのよう。イヤだの皮をむいていくと、次に「欲しい」の層が出てくる。

本当は、関心を持って欲しい。
私のことに目を向けて欲しい。

そして、さらに
その「欲しい」の層が
いつからあるのかを見ていくと

大抵は「母」が出てくるよ。

本当は「母に」関心を持って欲しい。
私のこと「母の」目を向けて欲しい。

あぁ、そんな風に思ってたね。
関心を持ってくれない、目を向けてくれない。って思ってたね。
と、そこにチクリと刺さる「傷」が見えてくる。

幼い時に、それが得られなかったと拗ねてるので、それを別の人(私の今回のケースは夫)に向けてしまったりする。これが大抵において、人間関係の面倒さに繋がっている。

「これがイヤなんじゃー!!」
と怒りに任せて伝えるのではなく
「こうして欲しい」
と、自分の希望を伝えたほうが受け取りやすい。

・感情を載せすぎない。
・ちょうど良い大きさにする。
・私は、の主語で話す。

残念ながら、相手には自分の傷は見えないし、わからない。
傷に触れられて「感情的反応」を返すだけの、表面的な応酬をしていると、なかなか本心から会話をすることが難しい。

ということは、その「感情的反応」の応酬を続けていると、深く理解し合い、信頼や絆を深めていく関係が、とても作りにくい。

その、「感情的反応」の応酬から脱出するためには、自分の「感情的反応」を客観的に見ながら、その根っこになにがあるのかを見つけていく技術が必要なの。

これが、ビリーフリセットを伝えて行きたいなと思ってる理由。
だって、本心はみんな仲良くしたいはずだものね。

みんなビリーフリセットを学ぶと、ほんと平和になると思ってるよ。

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