一生懸命「人間」やってたわ私。

02.私のかけらを探す旅

この話は書こうかどうしようか迷い続けて二ヶ月過ぎた。
ちょっと、突拍子もない話なのですが、面白いので書いちゃう。

いよいよ人である制限を超越したらしいので、そろそろ肉体を脱ぎ捨てると思うわ(脱ぎ捨てるならこの下腹部の脂肪から!)。

年明けから、小さな違和感が続いてて、それは何かというと、チャネリングをしたいのに、できない。というジレンマ。

できないんならやらなきゃ良いじゃん、って話なんですが、なんか逆らえない感じで「や・る・の!」という圧力がある。

例えばカードリーディングやら、生体のエネルギーリーディングはある程度出来る。そしてテキストを書く方のチャネリングも、ある程度出来る。メルマガは、なにかの存在と繋がって書いてるよ。

しかしながら、ヴォイスチャネリングはどうしてもできない。声を出そうとすると、どうしてもエネルギーを引っ張ってこれない。声を出そうとしても声がでない。出そうとすれば首をしめられているように苦しくなる。

元々「声と音」というのは、私にとってとても大切なことで、声を出す、バイブレーションを伝える、っていうのは、とても神聖なものだという気がしてる。

だから、歌う方、楽器を演奏されている方を、とても尊敬しているし、音叉のヒーリング、声による浄化を学んだりもした。

なんだか、チャネリングの技術的なことではなく、何か別のブロックがありそう。ということで、チャネリングの仲間であり先輩(Hさん)に助けを求めたの。

話を聴いてもらいながら、声を使ったチャネリングの何に抵抗があるかを探っていくと、たわいない会話の中で、ふと私が声を高めた
「だって私、ひとです!」
の言葉に、目をキラリンと輝かせ反応したHさん。

正直、それがチャネリングできないに、何の関係があるのかピンとこない。だって、私は「ひと」ではないか「人間」でなくてなんだというの…?

Hさんの誘導で、私は胸の奥の透明な空間に行く。そこは密度の濃い透明な光に満たされた空間。

「私はひとです。」
「私はひとです。」
「私はひとです。」
ハートの奥で、その言葉を感じながら

私は、そこから出ている細い紐を引っ張った。
すると、口から万国旗を出すマジックみたいに、するすると解けてゆく紐に絡みつくように、異形の者達が顔を出した。

足の生えた魚、ピンク色のジュゴン、鱗で覆われたレプティリアン、形のよくわからないネバネバした生き物。それらは、するすると現れては消えて光に還っていった。

あっ…私の中にこんなの居た…。
あってはならぬと、意識の奥底に封印した、別の次元の私の姿だ…

こんなの出てきました。と説明すると、
「あそう、んじゃ大丈夫かな?」
正直なところ私には、なにがなんやら、さっぱりわかりません。

思考ではわからないけれど、ビリーフが解けた後のあの感じ、身体が楽で、呼吸が深くなった感じがある。身体の奥まで呼吸が入っていく感じ。これはどういうことなんじゃろ~…

遅くに仕事から帰ってきた夫さんに、こんなことがあったと話してみた(私たちは、考えを整理するためによくこんな話をします、よく大丈夫ですか?って聞かれますが、いまのところ大丈夫です)。そしたら夫さんは、

「あぁそれ、さえちゃんなんだねぇ。」

あぁ、そうだ。
そうだったんだ。

それを聴いた瞬間、言いようのない悲しみが襲ってきた。
私がいままでなかったことにして封印した、私の欠片たちなんだ。

ごめんね、いままで忘れきって、なかったことにしてしまっていた。大切な私の一部。私の歴史たち。

人でなくてはならぬと、一生懸命「人間」やってたわ私。
人でなくてはならぬと考えていると、人でない存在に身体貸すのは相当怖いんだ。あー、まだこの肉体が自分だと考えてるか。

人は肉体を超越した存在であるはず、と考えてはいたけれど、奥底では信じきれてなかったのか。無念さと反面、ある種のスッキリ感。

確かに、かずにゃんのジャーニーワークで、魂の源のようなところを経験したとき私は、身体を持たない存在だった。

身体がないことは受け入れられても、レプティリアンやドラコニアンや、なんだかアメーバみたいなのとかグロテスクなものである自分って受け入れがたいんだな。

まだまだ知らなきゃならないことがたくさんある。
自分って、どんだけ広大な宇宙なんだろう。肉体を超えた世界ってどれだけ広いのだろう。

「私はひとです。」というビリーフ(制限)を外したら、この先なにが出てくるんだろう。もういっそめっちゃ面白い!という領域に差し掛かってまいりました。

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