私が「人見知り」をしなくなった理由。

03.自己定義とビリーフ

先日、初めてお会いした人に
「人見知りしないんですね。」
と言われたのよねぇ。

「え。」って一瞬思った。
なぜなら、自己イメージとして
「自分は人見知りである。」
と思ってたから。

いやいや、カウンセラーが
人見知りしていたら仕事できんし
講座も人来ないと思うのよ。
と自分ツッコみしたけど

いや、20年前の私は
確かに人見知りでしたよ。
それをね、打破しようと思って
ホステスやってみたりしたのよ。

あの選択は、自分ほんとグッジョブ。
ほんと自分を変えてくれたと思う。

あの店で出会った人がいなかったら
今の私はない!と言い切れるくらい。

みなさんとても優しかったし
大の大人が酔っぱらって
ひどいもんではあったんだけど

根本的に悪い人はいなくて
寂しい人、傷ついた人、
ようするに、癒されていない人
がいるだけなんだなー。
って、思った
(もちろんママの手腕でもある)。

今考えると
その単純な「気づき」っていうのに
私は癒されたのだと思う。

要するに、私もただ
傷ついた子どもだったんだ。
ってことに気がつけたから。

それまでの私は
何かを差し出さずには
人間関係が築けなくて

人といると消耗して
頭が痛くなったり
フラフラしたりして

それをまた自分のせいだと
自分の弱さを責めては

なんかいつもひとりで
世界から隔離されたような
気がしていた。

うーん、なんてコント。

だからね、なーんだ
みんな、寂しくて傷ついてる。
それだけなんだー。

あの社長さんも、あの会長さんも
ただ、癒されたくて何か忘れたくて
酒飲んでるんだー。

って、1年くらいの腰掛け
と思ってたバイトが
いつの間にやら7年半。

そしたら、いつのまにか
人見知りとか、人とうまく
接することが出来ない。
っていうの
なくなってたんだよね。

私が、店で何を学んだかというと
「言葉の裏の気持ちを見る。」
ってことと
「その見た気持ちに反応しない。」
ってことだった。

言葉の裏の気持ちっていうのは例えば
自慢ばかりしている
おじさんがいるとするじゃない。

最初はその自慢話に
「ツマンナイナー。」
とか思って聞いているんだけど

その自慢の裏には何があるの?
という着眼点で話を聞いていくと

自慢バッカおじさんの目の奥に
「ほめてほめて!」っていう
ほめてベビー が見えてくる。

そうすると
なんだかわかんないけど

「おっさん頑張ってるのに褒めてもらえてないんだなー。カワイソスなー。」
って気持ちになってくるんだよね。

今の知識でならそれは「傾聴」っていう、カウンセリングの技術と言えるんだけど。

その聴き方で、他の人の話聞いていると
最終的には人って

愛して欲しい、認めて欲しい。

それだけのイキモノなんだね。
そしてそれを、隠したり
見ないようにしたり
変な風に表現しちゃったり

それだけなんだね
(決してそれだけではないんだけど)。
って、わかった(気になった)。

自分はなんだか
居場所が無くて

誰にも必要とされてない
ような気がして

この地球に生まれたことに
違和感があって

なんか、ずっとひとりだ。
って思ってたけど
なんだ、みんなそうだった。

それを知ってから私は
人見知りをしなくなった。

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