踊らされるな、自らの意思で踊れ

03.自己定義とビリーフ

ふとsnsを見るとタイムラインは、学校が休校になるとか、あの会社も出社禁止でテレワークにしたとか、

私の脳内
私の脳内

↑はい、ここまで一応事実ね(に見えてる私には)。

コロナウィルス関連の話題で持ち切りですねぇ。
そうかそうか、いよいよ緊急事態として国民を守ろうという体で動き始めたの?うーん、パニックを引き起こしているだけな気もする。

私の脳内
私の脳内

↑ これは、私の思考ね。

子どもだけ休ませてどうするんだ?時給で給与をもらっている人は休めないぞ!休校なんて聞いてない!卒業式がなくなっちゃう!

私の脳内
私の脳内

↑うん、これ「感情的反応」ね。

snsやテレビ、ラジオの厄介なところは、事実も、他人の考えも、他人の感情的反応も、同列で一気に流れてきてしまうところ。

「事実」なのか
「(他人の)感情的反応」なのか
「(他人の)思考」なのか
「(自分の)感情的反応」なのか
「(自分の)思考」なのか
切り分けをしたいところです。

その切り分けをしないまま、(他人の)感情的反応に、とっさに(自分の)感情的反応で、ただ反応を返してしまう。

他人の恐怖に反応して、自分の恐怖を浮かび上がらせては、自分の内側にとどめておけずに、実体のない恐怖を拡散したりしてしまう。

怖がったり、焦ったり、不安に苛まれたり、そんなことをして消耗したり。
我を忘れるとはよく言ったものだと思うのですが、 そこには「自分」が居なくなっている。

我を忘れて楽しく熱中しているのならばいいのだけれど、そのダンスは、自分の踊りたい踊りですか?曲が変わった雰囲気に飲まれて踊らされてませんか?

踊りたいなら踊ればいい。
踊りたくないなら踊らなくていい。

踊らされたくないのなら、自覚的に情報を選別するしかない。
反応とビリーフの世界から脱出して、「自分」はどう感じるのか、どう思っているのか、主語を自分に引き戻すしかない。

「踊らされている」ってのは、主語が自分でないってこと。
主語を自分に戻していくと、自発的に踊る。
同じあほなら踊らにゃ損。というのは自発的に踊っているので踊らされてはいないのだ。自発的にあほになろう。

それは、人生の主役を「自分」に据えるということでもあるんだよ。
あなたの主導権を、あなたに取り戻して。

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