言葉の持つ「魔法」

03.自己定義とビリーフ

私は、セッションの中で「言語化」を大事にしている。

より正確に、よりピンと来る、その心境にもっともふさわしい言葉を選択できるように、最大限の努力をしている(つもり)。

もやもや~っとした感じとか、ざわざわ~っとしたなにか、みたいな、最初は言葉をもたない有象無象の「それ」を、身体で感じて感じて、懸命に「それ」を言語化していく。

言葉にこだわりがない方は、早く進めて楽にしてくれ~、と思われるかもしれないけど、この作業こそが、一番大事。セッションのキモとも言える。

この言語化のツメが甘いと、問題の絞り込みが、あいまいなままだったり、ポイントがずれてしまったり、ということになる。そうすると最終的にスッキリしない終わり方になってしまうことがある。

だから、自分の気持ちを最大限努力して、言葉にしてもらう。

最初は、もやもや~っとしていたよくわからないものを、よくよく感じてみて、このくらいの大きさで、こんな質感で、重さはこんな感じで…….と、少しづつ具体的に想像していってみる。

そうすると、自分と一体化していた「それ」が、自分と分離して、少し現実味を帯びてくる。

「それ」が、より具体的に「存在」として感じられてくるところまで観察していき、次にはそこから糸を紡ぐように、「それ」が、何を語りかけてくるかに耳を傾ける。

まぁ、やったことない人がこれを読むと、さっぱりチンプンカンプンかもしれないんだけど、この、じっくり自分の感じていることを、感じていくことと、それを具体化していき、言語化する。それが、カウンセリングという、言語を介したセッションでは、とても重要になってくる(ヒーリングなどのエネルギーワークはまた違うけど)。

しかしながら私は、言語化というのは難しい、とも同時に感じている。そして、言葉なんて信用ならんと思ってるし、言葉は苦手だとも思っている。

なぜかというと、言葉は「カテゴライズ」だから。

宙に浮いている水蒸気を集めて「これが雲です。」と言語化した時に、雲の境界線が、ここからここまで!とピシッとはっきり決まっているわけではない。

その境界線はあいまいで、細かく見れば見るほど、どこからが大気でどこからが雲か、厳密にはわからない。

もやもやと宙に浮いてるモノたちを集めて「雲」という言葉で囲うと、囲った中は「雲」で、その他は「雲でないなにか」になる。

だから、囲う限り、囲われない部分が絶対にあるし、色のはっきりしない部分は切り離されてしまうし、逆に、雲でない余白も雲として一緒にされてしまうこともある。

こころの話も同じで、これは「悲しい」これは「切ない」、それぞれを断定できるものでもない。こころも身体も、もっと立体的で、もっと複雑で、微細な要素がたくさん絡み合ったものだから。

そして、こころや身体の感覚、感情なんかの場合、その境界線の曖昧模糊とした部分にこそ、言い得ぬその人のエッセンス(美しい本質の部分)が含まれていたりして、それを垣間見るたび、その神聖さ、美しさに圧倒されてしまう。

本当に「そこ」が表現できたなら、どれほど素敵だろう、といつも感じるけれども。でもそれは、言葉では表現できない領域。

しかも、こころや身体の感覚、感情を言葉にすると、使い古された言い回しか、意味不明な擬音だらけの表現になってしまって、言葉にしようと努力すればするほど、自分の感じたものからかけ離れたものになってしまうこともある。

本当に美しいのに、その美しさの真髄が、全然伝えられずに、私は呆然とする。それは、美しい絵をどれほど言葉で表現しても伝わらないのに似ているかもしれない。

現象というのは実際のところ、あいまいで淡い境界線のものなのだ。だから、こころや身体の感覚、感情を言語化するというのは、本来限界があることなのだと思う。

このように「言葉」は、とてもむずかしい。
でも同時に、私は「言葉」の持つすごい力を知っている。

私たちは、誰かの言葉に勇気づけられたり、誰かの言葉に救われたり、その一言によって人生が変わることすらある。言葉の裏側に「言葉以上のなにか」を感じたりもする。

私が感じる言葉の力、それは例えばセッションの時に起こる。

いままでなんだかわからない、ずっとくるしい思いをしていた方が、自分の本当の気持ちを言葉にして表現できた時、

「あぁ、これだったんだ。私の本心はこれなんだ。」
と、なんとも清々しく、晴れやかな表情になる。そんな時、言葉で表現しつくせない癒やしが起こるのだ。

本来、本心などは、言葉にしてもこぼれ落ちてしまうことのほうが多いのだろうと思うけれども、その気持の「核」みたいな部分を捉えられると、素晴らしい効果がある。

その様子を見ていると、言葉による呪縛は、言葉でしか解除できないようにも感じている。

私が、その「言葉」と「言葉にできないなにか」の間で、むずかしさに打ちのめされながらも、それでも言葉を紡ごうと努力できるのは、この言葉の持つ「癒やしのちから」を信じているからに他ならない。

そう、まさに私にとって言葉とは、呪縛を解除する「魔法」の呪文のようなのだ。苦しい思いから人を救う「癒やしの魔法」。

一番身近で、誰でも使えて、一番ムズカシイ「癒やしの魔法」

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