ハートを開きたいのに開けないその訳は.その2

02.私のかけらを探す旅

と思ってたら、なーんかハートをパタリと閉じたくなることが起こってくるんですよねー。よっぽど、ハート開きたくないらしい。

ハートを開きたいのに開けないその訳は.その1

ということがありましてな(続きです)。
顕在意識では、ハートを開きたい、と思っている。
けど、なんでか開こうとすると辛辣な言葉を受けたり、傷つくようなことがあったり、なんだか不思議とハートを開きたくないことばかりがやってくる。

この、なんでか「望まない現実ばかりが引き寄せられる」ってのはビリーフ発動中のサイレンがわんわん鳴り響いているようなもので、潜在意識さんに「おい!気が付け!」って尻を蹴っ飛ばされてる状態です。

それを知らないふりしていたり、無視してたりすると、どんどん状況が悪化していき、ぱったりと倒れこんで白旗を上げると立ち直るのに時間がかかるんで、どうせ白旗を上げるのなら早めに上げとこ(経験則)。

ハートを開きたいけれども開けない。そこにあるのはなんだ?
まずは「自我を手放したくない」というエゴの要求から見ていこう。

自我を手放す手放す。と意図したところで手放すことが出来ないことなど百も承知なので、まずは「自我を手放したくない」という思考を、ビリーフリセットで解体していくことを試みた。

自我を手放すと、何が起こりそうなんだろう?
「自我」というのは「私」という考えだ。
「私」を手放すとは、「私」が「私」でなくなるということ……。

心の声
心の声

いや、ちょっと待って!
それは怖いって!

自分が自分でなくなる~それは怖いわ。いやー、それは怖いよね。
怖さを感じているのはどこだろう…あ、ハートだな、ドキドキしてる。
そうだよねー、怖いよねー。怖いこと想像しちゃったねー。と、怖いと感じていることに許可を出していく。

怖くてもいいよ、大丈夫だよ。
ここは地球だし、仲間もたくさんいるから大丈夫だよー。

そうかー、怖かったねー、怖かったんだねぇ。怖い思いに寄り添っていくと、怖さに縮こまったハートが少しづつ安心していく。

「思考」は、実体がないから「思考しなくなること=実在しなくなること」だと捉えている。私という思考がなくなると、私という存在を確認するものが居なくなる。とどうやら自我は考えている。自我は死にたくない。死を恐れているのかな。いや普通に怖いけど。

しかし、死を恐れている…その言葉を思い浮かべたとき、なにかざらっとした違和感があった。身体は「死」それ自体が怖いわけではない、と伝えてきている。
もう少し、この「怖さ」について行ってみよう。

胸の前で「怖さ」をイメージしてみると、もやっとした雲みたいなものが浮かんでいた。雷雲ゼウス(fromワンピース)みたいなやつ。

ゼウスの、端っこの方からゆっくり撫でていく。
端っこの輪郭が、手の輪郭と重なり、徐々に溶け合っていく。
だんだんと、手がゼウスを撫でているのか、ゼウスが手を撫でているのかわからなくなる。

すると、ゼウスから記憶が流れ込んできた。
この怖さは、全宇宙の愛が雪崩のように私に流れ込んできた、あのときの「怖さ」と同じだった。(詳細は、初めてのリトリートでの不思議体験 へどうぞ)

世界へ、宇宙へ開いた瞬間、ものすごい勢いで全宇宙の愛が流れ込んできた。 その勢いに怖気づいて、私は慌ててハートを閉じた。その瞬間分断されたエネルギーがバチン!!と音を立ててショートし、私は吹っ飛んだ。身体に衝撃が走るほどの痛みだった。

怖い。痛い。もうヤダ。
ハートを開けないわけは、痛みだった。もう二度と経験したくない、と思うほどの痛み…

潜在意識から戻っても、しばらく胸がズキズキと脈打っているような感じがあって、妙に生々しい。まるで本当に心臓が電気ショックを受けたみたいだった。

感情から切り込んでいく方法は経験があるけど、痛みってのは、どう扱っていけばいいのだろう…エンプティチェアで扱ってみる…(いや、もうほんとにあれ経験したくないんだけど)

と思っていたら、チャネラー養成講座の恩師であるリサロイヤルさんの「九蛇の学校-School of The 9 Serpents -」に大きなヒントががが。

続くよー。

コメント

  1. […] 長くなったので続きますねー。→ハートを開きたいのに開けないその訳は.その2 […]

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