「はーい、ゴール♪」って、誰かが言った。

01.見えない世界?

千手観音さまから受け取った、慈しみの振動
の続きね。

この、なにか知らんものを感じて身体や感情が勝手に反応する。
これって、なんだろう?なにが起きたんだろう?ってびっくりはしたのだけれど、よくよく思い出してみたら、私にとっては割とよくある感覚でした。

誰もが、美しい自然や、雄大な景色を目の当たりにして、言葉を失ったり、心が震えたり、涙が出たりって体験、あると思うの。

また、聖地と呼ばれるような場所に行って、畏怖の念や神聖さを感じたり、心打たれたりしたことは、あると思うのよ。

それって、◯◯が✕✕だから△△△っていう、直線的なことではなくて、もっと繊細で複雑な領域の話なのかもしれない。そして、言語でそれを説明することはとても難しい。

例えば、私たちは目視で紫外線を見ることは出来ないけれど、他の動物の中には、紫外線を見られる生き物がいます。
【動物学】紫外線視覚を持つ鳥には森の木々が細部まで見える

同様に私たちは、赤外線を見ることは出来ないけれど、暖かさは感じることが出来る。それは目に見える領域の外側を感じることの出来るセンサーを身体は持っている、それも、見えない領域を感じるセンサーのひとつではないかと思うのです。

ただ、それまでの私にとって、何かを感じるその「何か」の大部分は「恐怖」や「畏れ」であることが多かった。

そして、その思い出した「恐怖」の感じが、呼び起こした記憶があったのです。

幼い日、母の実家へ遊びに行っていた時のこと。
そこは自然豊かな土地で、夜になると真っ暗で街灯もない。聞こえてくるのはカエルの大合唱。虫は大きくて、カエルも大きくて、蛇もトカゲも大きかった、トイレは懐かしきボットン式。

怖がりの私は、夜ひとりでトイレに行けず、母についてきてもらってた。すると突然私は、恐怖のあまり、火がついたかのように泣き始めた。まだその感覚を覚えてる、肩甲骨の下辺りからゾワゾワと這い上がってくる嫌な感覚。

原因は、トイレに飾ってあった孔雀の尾羽根。あの美しいピーコックグリーンに、黒々とした目玉のついてるアレ。
その3つの目玉が、なぜかその時、ものすごく怖く感じたのです。

鯉のぼりや、鳥よけの目玉、木材の目に見える部分も怖い私でしたから、怖がっても不思議じゃないんですが、なぜ昼間には気にしていなかったのに、そのときだけ気がついちゃったのでしょう?

そこから、アレも怖かった、コレも怖かった。理由がよくわかんないことで怯えて、親を困らせたっけなぁ。と次々に思い出してきた。

高いところが怖い、水が怖い、チョウチョが怖い。それらを見ると身体が自動的に反応してしまうのです。「怖い」というのは、その身体の反応に名前をつけるなら、という後付けの感情。

そうだそうだ、なんかわかんないけど今まで「怖い」って感じるもの、たくさんあった。見えない世界って、私にとっては「恐怖」だったよ。

でも今回は「愛」や「慈しみ」みたいなことだったから、なんかびっくりしてしまったけど、見えないものを感じて反応してるのは、一緒な気がするのでした。

翌朝、常行堂へ伺いました。
伺ったときは特別参拝の期間で、お坊様のお話が伺えて、回向を受けることが出来ました。

靴を脱いで暗いお堂に入ってみると、暗いお堂のなかに、黄金に輝く阿弥陀如来さま。絢爛豪華。そして、この阿弥陀如来さま、孔雀に乗ってるんです。

わ、また孔雀や!
そう思った途端、また涙が止まらなくなりました。
お坊さまのお話が始まりましたが、涙と鼻水で内容がまったく頭に入ってきません。

孔雀さんが教えてくれました。
「孔雀の羽根は、あなたを守護する存在たちが、あなたを見守っていますよ、あなたは大丈夫ですよ。守られていますよ。」
と、お知らせするサインだったのだと。

あああ、そうなんだ!
そうだったんだあぁぁははは。

そして、まさかのあれが!
怖くないですよ~のサインだった!!って、それにめっちゃビビってたんですけど、私。
ご先祖さま、もうちょっと考えてやってください。残念ながら子孫はめちゃめちゃビビりです。

このとき、私は守護してくださっている存在、というのがご先祖さまと勝手に受け取ったんですが、この答え合わせがすぐ、お坊さまからありました。

「願わくは此の功徳を以(も)って、普(あまね)く一切に及ぼし、我等と衆生(しゅじょう)と、皆共(みなとも)に仏道を成(じょう)ぜんことを」というのが回向文というお唱えする言葉の意味です(天台宗サイトから引用)。

自分の積んできた功徳を、自分ではなく他の方のために役立ててください、と願うことだそうです。
本来は「皆共に」なので、周りの人すべてに向ける回向であるはずなのですが、この時お坊さまは「ぜひご先祖様にそれを向けて、ご供養とされてください」とおっしゃいました。

ですのでこの旅は、私のご先祖さまのご供養の旅、つながり直しの旅、であるのだなと受け取りました。

ひょっとすると、今まで怖いと思ってきたもの、その裏にあるものが本来は「愛」だったとしたならば、この世は怖いものだらけだと思って生きてきた私の世界観は、一気にひっくり返ってしまうのではないだろうか…。

私は、生きている意味がわからずに過ごした10代20代、自分の生命や身体を粗末にすることを繰り返していました。
その中には、なにか不思議な力が働かなければ、あのとき死んでいただろうということがあります。

ですので、いままでご先祖さまたちが、見守り、助けて来てくださったのだろうということを、私は信じていました。

それをいままで信じながらも、どうして良いかわからずに居たので、そうかお墓参りに行くだけでなく、寺社をお参りすることでも、お礼を伝えて、つながることが出来るんだな、と教えて頂けたことは、とてもありがたいことでした。

そして、大猷院、二荒山神社さま御本社にお参りして、中禅寺湖のほとりにある、二荒山神社中宮祠にお参りしようとスマフォを見ると、近くに「青龍寺」という小さな神社さんがありました。

よくわからないけれど、この神社さまへ行かないといけない気がします。
夫さんの名前には弘法大師さまから頂いた「弘」の字が使われています。弘法大師・空海さまが長安で修行をされたのが「青龍寺」です。なんか、ご縁がありそう。

地図を見ながら車で3往復、ようやくみつけた「青龍寺」寂れてます。落ち葉の重なる崩れかけたところのある細い階段を上がり、お参りを済ませると、眼下に中禅寺湖が広がっていました。

背後から山の大自然が迫り、目の前にはキラキラとした湖。心地よさに目を細め、深く息をつきました。

すると、
「はーい、ゴール~♪よく出来ました~。」
と、背後から聞こえました。振り返っても小さな社しかありません。でも確かにゴール~って聞こえた。

なんの?何のゴール?

そして、私は軽く腹を立てていました。
だって、いつも私に関連することではなく、夫さんに関連することから物事が発展していくのです。

今回の旅も実は、夫さんに関連することから紐解いてきた結果なのです。私は、私のことは教えてもらえない…としばらく大人気なく拗ねるのでした。

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