「心の探求」を表そうとすると、人によって様々な表現がある。
「楽になる、自由になる。」
という言い方をしていた友だちもいる。
「道を探す。使命を見つける。」
という表現をしていた人もいる。
私の表現は
「本当の自分を見つける。」
が、1番近いかな。
ビリーフを探し、リセットしていくということは、身につけた薄い鎧を、1枚1枚剥がしていくような作業に似ている。
数々の思い込み、囚われたちを白日のもとにさらしては浄化してゆき、何度も何度も、現れてくる思い込みを、何度も何度も、すくっては日にさらす。
なんだか特別なことをしているような書き方をしてみたけど、これはあくまで私の主観
やってること、それ自体は実は、「自分が何者か知る」
ってことを繰り返してるだけ。
副産物として、楽に生きられるようになったり、自由を感じられたりは、するのかもしれない。
しかしながら、その実やってることは「自分が何者」か
つまり
ほんとうは、なにが好きで
ほんとうは、なにが嫌いで
ほんとうは、なにがしたくて
ほんとうは、なにがしたくないのか
を、ひたすらに探しているだけなの。
なぜなら、私たちは
それほどまでに「自分」というものが、わからないから。
本当に本当に「自分」というものが、わからないから、なのだ。
自分がわからないから、
不安だし
自分がわからないから、
自信が無いし
自分がわからないから、
自分が悪いような気がするし
自分がわからないから、
生きていてはいけないような気がしているのだ。
でもだからこそ
自分の「ほんとう」を取り戻したいと懸命になる人、というのがいる(私もだ)。
そういう人は、知ってるんだよ。
ほんとうの自分がある、ってことを。
だから苦しい思いをしても
自分の闇に目を向けて
歯を食いしばって、その先を見ようとする。
だって、あるような気がするんだもん。
地に足のついた、どっしりと揺るがない、これこそが自分。っていうのが、どこかに(どこかは知らんけど)。
でも、そんな自分になってしまったら
誰も頼りに出来ない。
全部の責任を自分が取らなければいけない。
周りをみても、同じことやっている人はいない。
誰も助けてくれない(かもしれない)。
一人ぼっちだ。
ふと、そんな言葉がうかんでくるけど
もうその頃のあなたは
あなた以外の誰にも戻れない。
あなたの、その道は
あなたが、1番最初に踏み出す道だから
それでも、その道が
あなたのいるべき場所であり。
帰るべき、あなたの故郷への道なのだ。
完全なる孤独は、完全なる自由でもある。
「正解を他者に求められない。」
そう気がついた時から、旅が始まる。
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