こんばんは。
すっかり言葉が飛んでおります、堀江です。
私の住んでいる目黒界隈は結婚式場や観光名所が多いため、交差点で携帯見ながら迷っている方を多く見かけます。
タイ在住時には、迷っていると声をかけてくれる、おじちゃんおばちゃんに
何度も助けて頂いたので、迷っている方を見るとついついお声かけしてしまいます。
よく、こんな話をすると、ええかっこしいに思われるかしら、なんて思うのですが、道を教えたり、肩を貸したり、一見、やってあげているように見えて実は、貰っていたりします。
いえ、貰っている分量の方が、圧倒的に多いのです。
知らない人に声かけるとか恥ずかしいとか、まぁOBACHANになったからこそ超えられる壁ってのもあるんですが、道教えるなんて些細なことなんですよね。こっちですよ、って指させばいいだけですし。
わからなかったら、ググってみたり、少なくとも地元なら、他からきた人よりは知ってるから。
でも、教えて差し上げると、皆さん、ものすごい愛と感謝を返してくださるんですよね。
今日は、四谷駅で、白い杖を突きながら歩いている方がいらっしゃったので、銀行までお供しました。
今日は寒いですね、うちの方は雪が降りましたよ。
なんて会話をして別れぎわ
あのこれ、と言って
その方が差し出したのは、あめちゃんでした。
肩を貸したよりたくさんの、思いやりと感謝を頂いて帰ってきました。
与える者も、与えられる者も、実はいない。
この世には
「与えられる者しかいない。」
と考えたなら
「奪われる」
なんていう概念もまた
なくなるのかもしれない。