問1. 優しさとは「  」である。カギカッコの中を埋めよ。

07.こころ

実際の人生で、表題のような問が出されることはない。
だが、このように問われたような気持ちになることが、実際あるのではないかと思う。
いや、私は結構な確率でこう問われているような気持ちになってきたんだよ。

思い出すのは一番昔の出来事、札幌の若者向けのブランドが入っている西4丁目界隈のファッションビルで、私はとても素敵なブレスレットを見つけた。

くすんだローズレッドのバラの花を何個か、アンティークに加工されたチェーンといばらで結んだような。精巧ではないけれど、小さなバラを腕に巻き付けるようなそのブレスレットを、ひと目見て気に入ってしまった。

滅多に「欲しい」を言わない私が、母を呼び止め、買ってくれとお願いした。確か当時1,000円くらい。そのバラたちを自分の左腕に巻いていたら、とても私は嬉しい気持ちになるだろうと思った。

即決で買う決断をした小学生5年生の私に、お店の女性が言った。
「これ、おまけしてあげるわ」
同じバラのデザインのリング(サイズ調整可能なやつ)を、ニコニコと一緒に包もうとしている。

「それは要りません」
私は、正々堂々おとがいを上げ、きっぱりと告げた。

「どうして?」訝しげに聞くお店の女性問いに、私はうろたえる。またダメなこと言っちまったらしいな。なんか違う対応をしちまったらしいぞ、しくじったな。まだ人間界のお作法が身についていない私は、上げたおとがいをひっこめ、うろたえた。

しかし要らないものは要らないのだ。
「だって、使わないもの。」

指にはめると一輪の小ぶりなバラが手元に見えるそのリングは、指毛が原生林なままの10歳の指を、確かに可愛いらしく見せてくれるかもしれない。ブレスレットと一緒にすると素敵でしょ?かわいいでしょ?わかってる、親切な優しい気持ちなのはわかってる。

でも、要らないのだ。

まだ、オシャレなんてしたこともない、髪を無造作にひっつめた、ジーンズの10歳の女の子が、初めて可愛いと思って手にとったアクセサリーが、ここのお店のでうれしいよ、ありがとね。
その慈しみや親しみも感じることはできる。わかるよ、わかるんだよ。

でも要らないんですぅ。
それとこれとは話が違うんですぅ。

絵を書く、なにかを作る、本のページをめくる。私は、なにかに触れることで情報を掴むことが多い。過分に手先の感覚からの情報が入ってくる私は、指という感覚器官に、余分なものがくっついてるのは、邪魔なノイズでしかない。

そしてリングみたいな金属は、邪魔どころか、手かせ足かせみたいな感じがするのだ。いまは、ネイルや結婚指輪すらできなくなったくらいに。

それらの一切合財を、その時はまだうまく言語化できず、結局
「要らないから…」
申し訳なく思いながら、小さくつぶやいたら、
「この子、頑固だから。」
言い訳するように、母が言った。

私は頑固なのだろうか。そうかもしれない。頑固なのはあってる。でも「おまけは要らないと告げること」は、頑固なの?必要なかったら、要りませんっていうんじゃないの?すぐ棄てることがわかっているのに、要らないって言うことはダメなことなの?

私は、頑固であるから、お店の人の小さな親切のおまけを、受け取れなかったのだろうか。例えば小さな優しさを受け取っていたとしたなら、使われずに引き出しの中で朽ちていくリングは、代償としては、かわいそう過ぎないか。そしてそれを、やっぱりなと思いながら数年後に捨てるならば「優しさ」って一体なんなの?

答えのでない問いを、グルグル考え続ける。
おばさんの気持ちを傷つけず、自分も納得できて、可愛いアクセサリーを無駄にしない、正解ってどんな返事だったの!?

モノをもらうことも、私にとってはちょっと負担だったのだ。モノが増えると、そこに配分する注意力が、どんどん削られていってしまう。
単純に、モノが増えると疲れるのだ。

そして私にとって、向けられる「優しさ」や「親切」は過分に、侵入されるように感じられてしまう。

なにかをしてくれる、手伝ってくれる、なにかをくれる、世話を焼いてくれる、もちろんそれが必要で、大変に助けてもらった時代だってあるし、いまだに助けていただくことは多いし、ありがたい。

でも同時に、探るような視線とエネルギーに、とても窮屈な思いをする。要らない、大丈夫、放っておいて。と言いたくなるような。
その、私の領域に侵入される感は、私の傷がそう感じさせているだけで、大抵の優しい方は、そんなこと思っても見ないだろう。

そんな時、おとなになった私は、適正な境界線を引き、
「私はひとりじゃなにも出来ないおとなです。」
と、こころの中でつぶやいてみては、出来ないのも悪くない。チョットした優しさを受け取りたいと感じたなら、ありがたくお世話になってみて

自分でやってみたいな、と思ったなら「自分でやるので大丈夫です、ありがとう」とお断りすることができるようになった。

与えてもらう、モノ、コト、はお断りするけれども、あなたの気持ちは、ありがたく受け取っています。という表現も使えるようになった。

優しさとは、なにかをくれたり、やってくれたり、ってことではなく、相手の気持ちを尊重したり、大切にしてくれたり、ってことだと今なら思えるかな。

そして、まだ「モノ」が貴重であるという幻想の中に住んでいた40年前、ものを差し出すという行為が「親切」や「優しさ」であったことも事実だろう。

私は、その頃から「モノは要らない」という、ちょっと変で頑固な女の子で、モノ(家や車や)を買うために、必死に働いていた両親と、なかなかわかり合えなかった、ということも理解したよ、35年後くらいにね。

あなたにとって、優しさとはなんですか?

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