自分軸ってのが何か、っていうと、
じゃ、「解」を何に求めるかっていうと
自分がどうしたいか、どうありたいか。ってこと。
つまりそれは、「解」が、内側にあるってことなんだ。
自分が、「どう感じるか」「どう思うのか」に従う。
ってことなんだよね。
自分が、「どう感じるのか」「どう思うのか」っていうのが、正直私は、ピンと来ていなかった。これってね、「自分の感性・感覚」を信じるってことなんだ。
思考優位で、前頭葉ばかりで戦ってきていと、ほんと感じるってことがとても苦手になってる。この「感じる」がよくわからない方には数種類あって、
- 思考使えません、感性で生きてます!って言いつつ思考と感性の区別がついてない人
- 感性・感覚を感じてます!って言いつつ、実は思考ぐるんぐるん回しまくってる人
- 感性を封じて生き延びてきたタイプの人
経験則では3種類くらい、いる気がしてる。
傾向と対策をまとめていくよ。
って、書いてからあんまり長いのでページ分割したよー
その1.
1.思考使えません、感性で生きてます!って言いつつ思考と感性の区別がついてない人の傾向
1.の方は、よく「私、思考使えません。感性だけで生きてます。」って言います。「論理的に分析的に考えるのが苦手です。」という意味で仰っているようですが、 このタイプ、決して頭は悪くありません。むしろキレます。
些細な動向に目を凝らし、広い範囲の空気を読みまくっている、実はバリッバリに分析しているアナリストのような方です。
大概このタイプの方は「こうなんじゃないか、ああなんじゃないか。」というあまたの未来予測分岐の多さに圧倒され、不安を膨大に自分で作り上げている錬金術師のような方です。他のもの作ろうよ。
自分の生み出した不安思考があまりにも多すぎて、情報量の処理に追い付けず「あぁ、どうしよう。」「どうしていいかわからない。」と、自分で作った無限の不安ループにはまっていることが多いです。これ、ただの思考です。感性はどこにも使って無い上に、その不安は元はと言えば自分で作ってます。
1.は、なんでこんなことしているのか、というと
穿った見方をしてしまいがちなんですが、煙幕です。
思考も使えない、感性も感じていないことにすると、なんか都合がいいんですよきっと。
なので、過去に誰か(まぁ、親だ)から言われた、もしくは自分に言っている「あんた頭悪い。」という呪いをそのまま受け入れている。頭悪いから思考使えてないはずだ!と思い込んでるんです。ただの思い込み、ビリーフなんですけどね。
1.の、対処方法は
このタイプは、「自分は思考が使えない」という前提をまず外そう。
そして、自分が何を頭の中で呟いてるか、紙に書き出してみよう、そうしたらガンガン思考回してるのがわかるはず。
次に、少しづつ思考を手放していこう。
思考を手放した後に残るのが、あなたが「いる」「あるな」っていう感じ。だよ。
「感じ」が、ぼんやりつかめそうならラッキー♪
その2.
2.感性・感覚を感じてます!って言いつつ、実は思考ぐるんぐるん回しまくってる人の傾向
2.の方も、1.の方に似てる。「すごく不安なんです。心配なんです。」
「感覚で生きてるって言われます。」「考えて行動する、ができません。」って言います。
しかし、なにが不安ですか?心配なことってなんですか?と伺うと、あれがこうで、こうしたらこうで、そしたらそうなるじゃないですか。ってバリバリ未来予測に思考回してるケース。1.に似てるんだけど、異なるポイントは「自分の感性」にダメ出ししてるところ。
このタイプは、繊細で内にこもりがちな芸術家肌の方に多いです。
そのセンシティブな感性に常にダメ出しをされてきて、本来マルっと感性で生きて来てるみたいな人なのに、それを封じられて羽をもがれた蝶々みたいになってます。
そのため、感性しか羅針盤がないのに、それがダメだと言われて、指針をどこに置いたら良いか分からなくなり、全く自分に自信が持てなくなってしまったような方々です。
2.は、なんでこんなことしているのか、というと
こちらの方も、どこかで言われた「あんた、ろくに考えない。」「考えて行動しなさい」という呪いをそのまま受け入れてしまって「感性で行動する自分」にダメレッテルを貼ってしまった方、なんです。
戦後を生き抜いた親からすると、ちょっと理解できない存在なのかもしれません。フワフワしてて大丈夫かな、そんな気持ちになってしまうのかもしれませんが、またうまいことにこういうセンシティブな方には、なぜか「剛腕・やり手・強気」の親御さんが多いですよね。
もうひとつの側面としては、イヤなこと、怖いことから目を逸らしたい、という傾向がある気がします。よく言えば楽天的で、ほがらか。明るい側面を見つける方ですが、ネガティブに向き合うことが困難であるとも言えます。
2.の、対処方法は
この方はまず、「感覚にNG出してきた」ってことを受け入れてみよう。
どんだけ、繊細な自分にダメ出ししてきたか、振り返ってみようね、痛いけど。
「感じているあなた」をダメなことにしているって、どれだけ残酷なことを自分にしているのか、そこを感じてみよう。ひどいことしてたね、ごめんねって気持ちで、自分の「ほんとう」にアクセスしてみよう。
本当は、感じてたよね、ダメだって言われてきたけど、感じてたよね。
それずっと、実はあったよね。あったね、に気がついたら大丈夫。
いったんまとめ
「どう感じるか」「どう思うのか」っていうのは、理由なくあるもんなんです。
それが、自分の体感であり、感覚だから。
そこを否定するビリーフが入っちゃってると、「どう思うの?」って聞かれてもすごく難しいよね、だって、あっちゃいけないことにしてるから。
でもね、「あなたはどう思うの?」「あなたはどうしたいの?」って究極に自分軸に戻す質問だから、積極的に自分に問いかけてほしいな。
理由がどうであれ、感性・感覚という、自分の大事な機能を使わずに過ごしているなーというのに少しでも気がつけるといいと思う。気がついただけで、少しづつ変わるから。
次は、封じてきた系の方々について書くよ。
封じてきた系の方々はちょっと厄介ちゃん(私だ)。