優しくなろうとしても、優しくはならない

03.自己定義とビリーフ

こちらに引っ越してきて3年ほど経つのだけれど、以前に比べて道を聞かれることが増えた(beforeコロナの話ですが)。

もちろん駅前に五差路があり、バスターミナルは両側にあり、有名な結婚式場は両側にあり、そこへのバス乗り場は、2つのホテル送迎バスが、入れ替わりに乗り入れるので、割と難易度が高めな交通網である、という理由もあるかもしれない。

そんなわけで道を聞くのに、暇そうなおばさんに声を掛けるのは、まぁそうだろうなという気はする。

が。

会社員のOLに擬態している頃の私は、道など聞かれることなどなかったのだ。
眉間に縦シワを寄せ、足早にヒールを鳴らしている女に、人は道を聞かない。

人は、かなり敏感に、道を聞く人を選別しているものだ。
それは例えば、外国の方のほうが顕著でわかりやすい。

英語を解するだろうか、親切であるだろうか、そんなことを非言語的な部分から嗅ぎ取って、道を聞く人を選別する。その洞察は社会的仕草というよりは、動物的な直感に近いものであるように思う。

それを彼らは、一体なにで嗅ぎ取っているのだろうか。
表情?服装?歩き方?

私は、目線であるように感じている。
なぜなら彼らは、必ず目が合ってから話しかけてくるからだ。

そして、その目をガッツリ合わせたまま、にこやかに「excuse me」と声をかけられる国民性というのが、私は少し羨ましい。狩る側の動物のような印象を受けるのだ。

まぁ逆に言えば、相手もそこまで警戒しているということなのだろうけど、彼らのアイコンタクトは強いよなぁと感じてしまう。

日本人は、そこまでバキッと相手の瞳孔に切り込んではこない。
そこが優しげで柔らかい印象を与えるけれども、よくわからなくて気持ちが悪いと思われる原因にもなっていると思われる。

あぁ、そうかと今気がついたけれど、私が視線を避けずに返すからということもあるのだろう。視線を返すということは、こちらも対等にあなたを視野に入れましたよ。あなたを認めていますよという返事になっているわけだ。

そして、笑顔だ。笑顔を向けられたら、笑顔を返す。
私は、あなたに危害を加えません。

そんなやりとりから、道を聞かれるということは、無害そう、臭くなさそう、危害は加えなさそう、変態でもなさそう、パンツ履いてる。などの数々の選別をくぐり抜けた結果、まぁコイツ大丈夫そう、という選ばれた民であろうと想像している。

対人援助を一応職業にしているのだけれども、私は自分のことを優しいと思ったことはなかったし、今までそういった言葉が、自分に向けられることはなかった。

優しい、そのふんわりとしたイメージは、自分にそぐわないと思っていた。私は優しくもふんわりともしていない。どちらかというと、触るもの皆傷つけたし、心は閉じているし、世界は不安に満ちていると思ってた。

心の傷を扱えないまま、身体だけ大人になってしまった駄々っ子。傷のせいで捻くれた自我が地団駄を踏んで癇癪を起こす。その癇癪を自分でも扱いきれず困り果てている、それが私の自己イメージだった。

そんな私が、カウンセラーを目指したのは3年前。
カウンセラーの認定を受けようと思う前から、
「私が?このギザギザハートの私が、対人援助職なんて大丈夫?」
内心、自らに薄ら笑いながら問いかけていた。

しかし、セッションを重ねるうち「優しさ」なんて私に求められていないことを理解した。クライアントさんの発言は全て受け止めるし、共感できる。しかしそれは、優しさとはまったく関係ないスキルである。

クライアントさんが求めるのは、このモヤモヤ、苦しい、しんどい、を少しでも楽にしてくれる、それだけが目的だ。

私のやるべきことは潜在意識下のビリーフを見抜いていくことで、それはまったくもって「優しさ」なんかとは違う、どちらかというと痛いもので、人によっては見たくもないものかもしれない。

だから、優しくなくても対人援助職は可能なんだという思いと、共感することや、相手の気持を受け止めるということは、優しさだけではなかったという気づきは、私に安心をもたらした。

優しくなろう、優しくしようとしたとしても、本当に優しくはできないものだ。

意図的に優しいふりを装うということは、優しい仮面をかぶることで、なにかを隠していたり、なにかから身を守っていたりする。その優しさは実態が伴わないので、とてももろく、危うい。

なにかのきっかけで、その優しさの本体が、実は優柔不断であったり、弱さの裏返しであったり、損得勘定だったり、ということが露呈する。

私には、そういう仮面をかぶる器用さはなかった。
だからただ、ひたすらに自分の気持ちに素直に、正直にいようと心がけてきた。

しかし、それらの心がけの副産物として「人はだれもが美しい」ことに気が付き、「世界は美しい調和でできている」ことに気がついた。

そしてそれらに気がつくと、いまここは完璧だという「世界への信頼感」を一瞬づつだけど、手に入れる事ができるようになった。

多分、その気付きと実感が、私を「道の聞きやすい中年女性」に仕立ててくれているのだろう。

他者による「無害なおばさん認定」を感じ始めてから、敢えて道に迷っていそうな方を探すようになった。

これが、なんだかとても喜んで頂けて嬉しい。
私も別にこの土地をよく知っているわけではないけれども、他から来る方よりは多少の土地勘はある。

amazonさんの本社なら、下まで行かずそこのビルから入ったほうが良いですよ。そのヒールで歩いて行くなら、そちらからの方が坂が緩やかですよ、とか、ちょっとした他愛のない会話をすることができて、とても感謝して頂ける。

いまは、世界は案外優しいよ、そう伝えたくて「道の聞きやすい中年女性」をやっている。

この記事を書いてる人

潜在意識の定義を書き換え、ほんとうの人生をスタートさせる、ビリーフリセット®協会認定カウンセラー。対面セッションは東京目黒にて受付中。
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