世界の「意味づけ」はあなたがやっている

こころのこと

確定申告が完成!セッションも終了!ようやくまとまって休める!と思ったら発熱!と、仕事を辞めても相変わらずの社畜体質です。

さて、心理学を学び始めると「起こっていることはすべて完璧」とか「世界を作っているのは自分」みたいなことを読んだりするんですが、どうしても現実にやられている状態のままだと、それを受け入れるのは難しかったりします。

じゃ、嫌味を言ってくるあいつも、パワハラをしてくる上司も、私が作っているのか!?この不幸な事故も私が作っているのか!?と顕在意識上ではそんな現実を作りたくないわけなので、憤りを感じてしまうんですね。

ここで大事なのは、「現実」とひとくくりにしている事象を、「事実」と「思考・感情的反応」に分けて見られる目を養うことなのです。

例えば会社で、いつも私を怒るAさんが、私の提出した資料にまた文句を言ってきた。
「正確にこの数字の根拠を示してくれないと説得力がない。今日中に修正してほしいの。」
こちらの都合も考えずに勝手に期限を決めて、大体最初に聞いていた話と違う…そう思っても、また怒られるのが嫌だし、黙って言うことを聞いたふりしてやり過ごそう。

この一連の事象の「事実」は
「会社でAさんが、私の提出した資料を今日中に修正してほしいと言ってきた。」
これが事実ですよね。

(いつも私を怒る)(また文句を)(こちらの都合も考えずに)(勝手に)(聞いていた話と違う)(また怒られるのも嫌だし)(黙って)(言うことを聞いたふり)(やり過ごそう)
これらは「思考・感情的反応」です。

でも、「事実」と「思考・感情的反応」を分離して捉えることに慣れていないと、これを全部ごっちゃにして、「現実」と捉えてしまうことがよくあります。
本人の中では、沸き起こっている感情だったりするので、事実と結び付けてしまいますが、実際には「事実」ではありません。

この、「思考・感情的反応」を俯瞰して捉えるというのが、最初なかなか難しいという話をよく聞きますが、これが出来ないと「世界を作っているのは自分」というのが腑に落ちないの。

逆にいうと、ここが「事実」と「思考・感情的反応」に分離して捉えられるようになると、世界の見え方が180度変わります。
やられっぱなしだった被害者の視線で見ていた世界から抜けられるんです。

そこに気が付いて、Aさんにやられている被害者の自分である反応をやめようとしたところから、自分の世界が変わるんです。

例えばこのAさん「いつも私を怒るAさん」と定義づけられていますが、逆に見れば、私の自己定義は「Aさんにいつも怒られる私」なわけです。
ビリーフリセット的見方でいうと「私は怒られる」という自己定義ビリーフの枠の中からAさんを見ているのです。

「私は怒られる」という自己定義を外してみたなら、Aさんはひょっとして怒ってはいないかもしれません。ひょっとするとただ困っているAさんが見えてくるのかもしれません。

ふたりの人が並んでいたとしても、まったく違う世界を見ています。
それは、あなたの「定義」が世界に意味づけをしているからです。

どんな世界を体験しに来ていますか?
あなたに見えている世界は、あなたを満足させるものですか?

もし、違うのならば、自分の「思考・感情反応」を現実と分離させて捉えてみるところから始めてみてくださいね。

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