「諦めている」という方が、全然諦めてない件

03.自己定義とビリーフ

「もう、諦めてるよ。」
久々に実家の母から、こんな言葉が出てきた。

「諦めてる」そうお話しされる方で、本当に諦めた方にはお目にかかったことがない。

多分、本当の意味で諦めた方は、言葉に出てこないというか、忘れてしまうんだと思うんですよ。ほら、フラれた彼氏とか、生傷の時には寝ても覚めても恨んでるけど、そのうちどうでもよくなって、段々と思い出さなくなるじゃないですか。

逆に言うと、どうでもよくないから(執着しているから)思い出すし、そういう言葉が出てくるの。
だから「もう、どうでもいいんです」とか「諦めました」という言葉の本心は、めっちゃこだわってるし、むちゃくちゃ執着してます、だと思うんです。

でも、それをそのまま「めっちゃ執着してる」「どうしても諦められない」と言えないところに、「諦めた」という言葉の持つ複雑さがあるんです。

あ、諦めたほうが良いとも、執着はダメとも思ってないよ。
本心と言葉が違っていると違和感があるから、本心と言葉が同じ方がスッキリするよ、とは思う。

欲しいと手を伸ばしたのに、手が届かなかったり、伸ばした手を払い落とされてしまったりすると、傷つく。
そしてその傷は「欲しいものは手に入らない」「欲しいものは与えてもらえない」「欲しいと願ってはいけない、言ってはいけない」などという防衛ビリーフを作り、欲しがらない、願わない、欲望のない人を作るんです。

そして同時に、何度も何度も傷ついて、そんな惨めな悲しい状況に耐えられず、その傷ついた自分を、意識から切り離して、抑圧(意識から見えないエリアに隠してしまうこと)します。
それほどまでに欲しいと願ったその感情が満たされないままなので、謂わば生傷が癒えないまま倉庫に放置されている状態です。

そう、傷ついているから、執着するんです。
本心は、その痛みをどうにかして癒やしたい、満たしたいと願っています。

でも、それが満たされず、そのうち疲れてしまったり、痛みを恐れてしまったりして諦めるわけですが、これはいわば「敗北」なんです。

この「敗北」に、悔しい!不甲斐ない!どうして!?理不尽だ!ひどい!
色んな湧き上がる感情があります。

それを、怒りで抑え込むのです。
ですので、諦めには怒りが付随します。

やっかいなのは、「怒り」も同時に封じ込めていること。
怒りを封じると、感情やエネルギーにつながらないので、なんだか漠然と生きているようになるんです。

生きていても楽しくない、なんだか薄っすらと消えてしまいたい、この傾向の方は「怒り」を取り戻すことがポイントです。

そして「敗北」。
諦めを紐解くには「怒り」と「敗北」という痛みが伴います。
とてもつらく、悲しく、大きな痛みであるために、ここに突撃するには、相当の覚悟と勇気が必要です。

でも、もう大人になった今なら、傷に、痛みに向き合うことができる。
自分で満たして上げることができる。

「どうせ、わかってくれないから」
「どうせ、愛してくれないから」
そんな風に拗ねてる自分を、もう手放してあげても大丈夫。

「諦める」の語源は、明らかに見極める。
なのだそうです。
この記事が気になったなら、明らかに見極めるタイミングなのかもしれません。新月ですしね。

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