「やりたいこと」は、「わからない」よ。

04.からだとかんじ

やりたいことが分からない。
好きなことが分からない。
楽しいことが分からない。

みたいなことをお題としてセッションに来られる方には、共通項がある。
みなさん、とても頑張っている。そして、とても疲れている。

そもそも、やりたいことなんて、わかるもんではないんだもの。わかるって「思考」だから、そこにはやりたいことなんてない。やるべきこと、やらなきゃならないこと、の判断軸ならある。

しかし、やりたいことなんていう、生存競争に全く関与しないものの判断なんてそもそも「思考」は担わない。だからやりたいことを考えてもポカーンとしちゃうのだ。

だから、やりたいことが分からない、っていう文章は破たんしている。
ほんとうは「やりたいという気持ちが感じられない」のはずなんだよね。しかしながら、分からないっていう人は、分かるはずだと思ってるから、そもそもズレてる。

それはなぜズレているかというと、
そもそも、感じることを封印しているから(はい、そもそも3回目そろそろゲシュタルトが崩壊してきたよ)。

だからまず、やりたいことがわからない、って思ってる人は感じる練習からなんだよね。ゴール遠っ!って思ったよね。でも、仕方がないんだ。それだけね、頭使って生き延びてきたってことなんだよ。

どこかでね、感じるセンサーを「閉じ」たり「壊し」たり「使わないこと」にしたりして、自分を守ってきたはずなんだ。

私の場合はね、母親と感性も感覚も違い過ぎて、自分のセンサーの方が狂ってる、壊れてる、だからアテにしてはいけない、って思ってきた。

だからずっと、それはないでしょ、そんなの現実的じゃないでしょ。って自分の感性にダメ出しし続けてきた。そうすると、感性は錆びついてきてきちんと機能しなくなってしまうんだ。

だから、やりたいことが分からないって言ってる人は、まず休もう。

そして、やりたいことが分からない。っていう人は、自分の本音・本心が分からない。分かっていない。

コレ、自信もって言えるのは、私が長年「本当にやりたいことが分からない。」と言い続けてきたから。

だから、やりたいことが分からないって言ってる人は、まず休もう。
その、臨戦態勢を解いて、寛いだところから、ようやく感性が感じられるから。

まだまだ、年末年始関係なくお仕事の方もいらっしゃると思う。
休んでる暇なんてないんだよ、という方もいらっしゃると思う。

でも、とりあえず一旦、
一年、戦ってきたみなさま方、お疲れさまでした。

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