今日は、怪しい話なので心して読んでください(何を)
ハートを開きたい、開きたい。ずっと開いたまま全開で生きたい。
でも、そう思うたびに、驚くくらいハートを閉じたくなる現実が引き起こされていて、どうにも「ハートを開く」に潜在的な抵抗があるということは分かっていた。それが身体の願いなのも知っているのに。
ことの発端は、ちょっと無視できない感じで「チャネリングを教える」という指示が入った(いつもなら、降りてきたとか、ひらめいたとかいう表現を使うのだけど、どうにももうあらがうことが出来ない感じで「教えるの!お前さんが!」ときた。
教えればいいよね。
教えればいいんじゃない?
さえB
いや、待って!
あんた、まだ意図的にチャネリング出来ないじゃない。
そうなんだよ、その通りなんだ。
なんか、強烈にメッセージを伝えたいという意思の存在が来ると、勝手につながりメッセージが来るんだけど、こういう存在につながりたい!と自分から意図しても全く繋がらないんだよな。
「え!どうやって!?どうすればいい?」
問いかけても返答はもらえない。
これは、顕在意識でどうにか進んでみってことだよな、と(こういうの、よくある) 。
そんなわけで私は、チャネリングの先輩であり同期仲間、Hまちゃん、Hロシさん(伏せてる意味あるかな?)にヘルプを求めた(安直)。
Hロシさんに催眠誘導してもらってみたけれど、どうしても繋がれない。「圧(エネルギー)」はそこにあることを感じているのに繋がれない。怖い。そこから私自身の「自我を手放したくない」という強固な自我が判明した。
自我、エゴであり思考とも言い換えられるのだけど、自我は「安全をキープする」ことがミッションで、そのための判断を担っている。
「安全」と書いてるけれど、それは、生き残る(サバイバル)という意味での安全であって、ワクワクして生きるとか、幸せに豊かに生きるという尺度ではない。
と、いうことは「自我を手放したくない」というのはつまり、チャネリングは「死ぬ」と自我は捉えてるわけだ。あーなるほど自分の検閲を通らないのはまずいってことか(あー、確かにリサそんなこと言ってたー、自分を後部座席に座らせるって、運転席をその存在に譲るのだって)。
なるほど、だからカードリーディングやセッション中に降りてきた言葉を伝えるのは、自我が発動したままのチャネリングだからできるんだ。いわば、エゴの検閲付きチャネリングってことか。
よし、エゴの言い分はわかった。
チャネリングをしたいと思っているのはどこだろう?考えるまでもなくハートだ。
じゃぁ、まずハートを意識して拡大していこう(そして最初の文に戻る)。
まずちょっとハートを開くってのから説明するよ、わかってる人は読み飛ばして。あと、私の勝手な解釈がふんだんに入ってるから違うと思ったら、自分の感性を優先してね。
ハートって、ハートチャクラを指していて、どうも私のように思考型人間は、ハートを押しつぶすようにして生きてます。なんでかというと、ハートがものを言い始めたら困るからです。
ハートが言いたいことを言い始め、それに従ってしまったら、バスの前の席のおじちゃんの頭をぺちぺちしながらつる~つる~♪ピカ~ピカ~♪と歌い始めちゃったり、葬儀などの深刻な席で木魚に合わせて裏打ちでリズムを取って踊り始めたりして、親が悶え死んでしまうからです(どちらも実体験)。
ハートは、楽しさ♪を教えてくれるセンサーなのです。
でも、これが人に迷惑をかけたり、困らせたりして親に叱られたりしてしまうと、その感覚を封じて、ぎゅっとハートを押さえつけてしまいます。
ということは、嫌なことをしないで、楽しいことに従っていれば、ハートは勝手に開くはず。温かくしてリラックスして、五感を満たす美しい音楽や香り、美味しい食べ物や、柔らかいお布団とパジャマで、満たされたこころでいれば…
と思ってたら、なーんかハートをパタリと閉じたくなることが起こってくるんですよねー。よっぽど、ハート開きたくないらしい。
どうやら、開きたいけど開けない事情があるようです。
んんん…これは、聞いてみるしかないみたいです。
長くなったので続きますねー。
→ハートを開きたいのに開けないその訳は.その2
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